映画「海炭市叙景」(2010年/日本映画)。
夕方6時。沢山の人。コーヒーの香り。
シアターキノのフロアには次々と人が集まり、入場開始までだいぶ余裕がある段階で混み合っていた。けれど、様々な映画のフライヤーを熱心に読む人、壁に飾られた”ロケ地マップ”等をじっくり眺める人、「ああ、心から映画が好きなんだな」というような人がそれぞれに好きな時間を過ごしていたし、併設されているカフェからはコーヒーの香りが漂っていたし、窮屈な空気なんてものは、そこにはなかった。
キャスト・音楽共にずっと気になっていたのだけれど、なかなか時間が取れず、上映終了3日前というギリギリなタイミングで劇場へ足を運んだのでした。
エンドロールが終わり、照明が点き、聞こえるのは退場していく人々の足音。
私と友人が一番最後に劇場を出るまでの間、誰ひとりの声も聞くことはなかった。
18時25分上映の回を観た人々が、あの上手く言葉に出来ない空気を、きれいに配分して別れていくような光景だった。
私達も、エレベーターまでの廊下を歩いている間は何も喋らなかった。
たぶん、よくある”ここがよかった、あそこがよかった”等といった言葉を第一声にするのは何だか違うように感じていたのだと思う。
まず、鑑賞後いちばん初めに浮かんだ感想は「忘れられない」ということ。
この作品でテーマとなっている”孤独”は、きっと誰もが持っているし、自分自身も日々持っていること。そういった面ではとても身近なテーマと感じるが、忘れられない、忘れてはいけないものがある。
大きく5つに分けることが出来るオムニバス作品となっていて、どれも”目”から強い感情が受け取ることが出来た。
初日の出を前にして下を向く兄の目、妻に「偽物の星ばっかり見て」と言われた時のプラネタリウムを上映する男の目、猫を見つめる老婆の目、傷ついた息子を知る目、隣にいる父を見ずに窓の外を見る目。
それは息をのむほど、繊細な目なのです。
そして、最後のシーン。
子を宿して老婆のもとへ帰ってきた、グレ。
そのお腹を撫でる手に、「こうして人は巡っていくのだろうな」と感じた。
その気持ちは少し諦めに似ていて、一方、希望と取っても良いのかもしれない。
正直、その答えはまだ分からない。上手く説明出来るようになったその時は、私もおおきな孤独と向かい合った時なのかもしれない。