出会い、機会、繋がりがどんどん増えていくようになった。
感想や応援の言葉も伝えて頂けることが多くなった。
それらはどれも気持ちのこもった言葉ばかりで、そのまま何も経由する事なく心臓へ運ばれていくように、直接パワーと成っていく。
そんな中で、よく共通して届く感想がある。
「夢のなかのよう」・「独特な一つの世界のよう」
という言葉。
それらは、見事に私の”描く理由”に繋がっているので、
お礼の返信をする際に、「ありがとうございます」だけでは終わらせず、
きちんと原点まで述べるようにしている。
しかし、もう一方で、「どうしてそんなに悲しいことを言うのですか」と冷えた疑問を持たせてしまう可能性がある答えも抱えている。
レーベルに所属して、活動当初より多くの方々に作品を見てもらえるようになった今。
今だからこそ、
私の本当の意味での”描く理由”をここに書き示しておこうと思う。
それはいつか変わるかもしれないし、変わってほしいとも思うし、このままでよいとも思うし、変わった時は自身も変わったという事になるのだと思う。
私は今、
「絵を描く」 = 「部屋を増やす」 という理由を持ち合わせているのです。
誰もが何かしらの生き辛さを感じながら暮らす日々でしょう。
例えば真夜中に、グゥッ と、孤独が襲ってきた時、
人は”とにかく何処かへ”・”とにかく誰かのもとへ”と場所を探します。
私はそんな時、自分だけが入れる場所を求めます。
人を信頼していない訳ではないし、
人を嫌いな訳でもない。
ただ、「委ねる」という行為に対して通常以上の恐怖を抱いているのだと思う。
普段仲良くしてくれている大事な人々には、下手なりに、自分なりに心を許しています。
大好きです。大切です。ずっと一緒にいたいです。
けれど、どうしても最終的に求める空間は「絵」の中。
「国」をつくる感覚に似ています。
自分で言語を生み、建造物を決め、緑と海の割合を考慮し、入り口のキーは誰にも渡さず。
夜が来たら、足音を立てないように、そーっと、そこへ向かうのです。
それが唯一、本物の「安堵」がある場所。
その空間が増えれば増えるほどに、安心が広がっていく気がするのです。
だから、描いています。
自分が入りたい部屋を、作っています。
きっと上記を読んで、
「悲しい」と捉える方々が多いのだろうと思っています。
けれど、共感するという方々も少なくはないと思います。特に、何かをつくる人。
もちろんの事、
デザインとして制作をする際は、仕事として、自分らしさを守りつつ動いています。
けれど、絵を描く事に対して、
ここまで書いてきた事が、今の私のほんとうの理由です。
「創作」には、理由なんて要らないと思っています。
音楽も絵も写真も小説も、始めたきっかけは”憧れ”や”好きだから”というだけで十分なのでしょう。
世の中に沢山の作家が居る中、
現時点における私の”描く理由”を、書き残しておこうと思いました。
時の流れや新たに知る場所・人・機会により、いつか別の理由に変わる日が来るのかもしれません。
その時は、また、リアルタイムな思いを書いてみようと思う。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。
久しぶりに訪問して、またまたpureな気持ちに
返信削除触れた思いです。
人と触れ合う、委ねる、コラボする。ということは
ある意味で妥協するということなのかも。
自分の部屋を増やすという表現も素敵ですね。
そして増やした部屋を広げていくことも、素敵かも
しれません。他人との交流の中で新しい間取りを
組み立てていく手助けにきっとなると思いますよ。
押しつけがましくてごめんなさい。