写真展「未来ちゃん」 へゆきました。
(at: 札幌PARCO 7F / スペース7)
未来ちゃんは、遠い昔から ”ひょこっ” とやって来たかのようで、
海、空、四季、生活を自由に泳いでいるようで、
その屈託のない無垢な姿は、もう、ずるいくらいに美しかった。
ギュウッと抱きしめたくなるほどに愛くるしい顔をしたかと思うと、
ツンとこちらを突き放すように完成された顔をしたり、
「自分がこどもの頃、こんな目を持っていただろうか」
「この子は物・景色・人のどこまで見えているのかな。もしかしたら、私でさえ知らない、ずっとずっと果てのほうだったりして」
そんな事を考えながら、ただただ、表情に見惚れた。
そして、
川島小鳥さんの写真は、”空気の切り取り方” が素晴らしかった。
例えば、町の古びた家屋にある歴史、
例えば、海面に揺れる光、
例えば、未来ちゃんの髪の毛の先まで伝う夢、
それらが風となり匂いとなり届いてくる。
カーテン、食器、草原、太陽、手の平に ”ころん” と乗っているみたいだった。
時間に負けず残り続けるものは、案外たくさんあるのかもしれない。
人生で蓄積されていく情報は、時に良く時に悪く、ベクトルを作るけれど、
結局いちばん最後の大きな決断をする時、人は、自分を信じるように。
そんなふうに、ゆっくり思い返していくと、「変わらないこと = 変えないと決めたこと」って少なくはない。
なんて、大好きなアクセサリー達を眺めながら、ぼんやりと考えてから眠った。
私は小さい頃から、キラキラした物が好きだ。
目をまんまるくさせてウットリしたり、左右に動かしてピカピカさせたり、太陽にかざしたり、
「これだ!」って品物に出会った時、たぶん、大人げなくはしゃいだりもする。
そういう事は意外と忘れがちで、意外と隠しがちで、意外と放っておきがちだ。
でも、たまには、存分に解放してみればいい。
それが自分らしさに結びつくのだろうな。
未来ちゃんは、きっと、あの目を手放さない。
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