2012/06/10

あいという


三年前から書き続けてきた一冊のノートが、ついにいっぱいになった。

「Thanksノート」と名付けたそれは、
嬉しかったこと、忘れたくないこと、もらった優しい言葉などを記録し、
未来で落ち込んだ自分を励ましてあげられるように と思い立った物。
paperblanksの小さな小さな手帳で、立派な風貌ではないし、19歳頃に書いたであろう一ページ目の字は幼くて何だか頼りない。
けれど、たくさんのありがとうが詰まっている。


読み返していると、ある"視点"の変化に気が付いた。
「愛」に対する考え方。
ノートの前半、高校を卒業して一年も経っていない当初、名の通り「~が嬉しかった」・「~は忘れたくない」と、ただただ感謝を書き留めるのみ。
実際にこうして思い辿る事が出来ているのだから、この手帳の在る意味は成立しているけれど、大切な感覚がまだ芽生えていない。

「だから私は、どうやって返していこうか」という手段。ありがとうの先。
これらが書かれているのは、ノートの後半、恥ずかしながら最近のこと。
例えば、抱きしめてあげたい。
例えば、笑わせてあげたい。
例えば、くだらない話をする時間を設けてあげたい、ご飯を作ってあげたい、ただ一緒に居てあげたい。
些細なカタチだとしても、こういった自発的な何かが増えれば増えるほどに、相手へ抱いている愛の像が見えてくるのだろう。


plentyというアーティストの音楽に、
「椅子がないでしょう まだ、君の中には

君なら何という 僕なら何という 誰かは愛という
今はまだ分からない

今は分からなくていい」
という歌詞がある。
きっとこの歌のなか、分かっているのだろう。でも、これが歩幅なのだろう。
欲求や理想が溢れ返るほどの大きな愛は、少しずつ、本来の道を教えてくれるのだろう。きっと。

二冊目は、記録と展望のノートにしよう。

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